人は何のためにこの世の中に生まれてきたのでしょうか?
今回はちょっと大きなテーマですね。
もちろん自分の意思で生まれてきたわけではなく、両親の意思であり、世の中の意思であり、でも必ずしも誰かが明確な判断があってというわけでもなく、偶然性もあり、私たちは生まれてきます。
いろいろな意思や要因が絡みあってこの世に生を受けるといってもよいかもしれません。
では何のために人はこの世に生まれてきたのでしょうか?
生きていくということは、決してハッピーなことばかりではありません。
勉強や仕事をしなければならなかったり、人間関係でつらい思いをしたり、病気で苦しい思いをしたり。
もし、人生の大半がつらいことや苦しいことばかりなら、子供を産むということを選択しない両親が増えて、どんどん人は少なくなって、いつかいなくなるということになるのではないかと思います。
つらいことばかりならもともと生まれてこなければいいわけですから。
ですから、人が生まれてくるということは、つらいこともたくさんあるけれども、それを超える何か喜びがあるから生まれてくるのではないかと思うのです。
人生の喜びとは何なんでしょうか?
もちろんその喜びや感じ方は人それぞれだと思います。
ただ最近、いろいろな方とお会いする中で、少しでもその方と何かに共感できて、心が通い合ったな、一瞬でも分かり合えたなと思えた時に、最上級の満たされた感覚になるということに気がつきました。
別にただ自分の役割を果たしているだけですが、そんな中で出会えた方と一瞬でも深く波長が合ったようなとき、ほっこりした、かけがえのない瞬間が得られたなととてもうれしくなります。
自分はほぼこのためだけに生まれてきたのではないかと思ったりもします。
ですから、最近は誰かとお会いするときは、一瞬でも深く心が通い合うような向き合い方ができればいいなと思いながら臨んでいます。
とてもささやかな望みのように思うかもしれませんが、「心が通い合えたな」と思えることはまだまだそんなに多くありません。
時々はありますが、かすかに波長があったかなと思える時や今日は残念ながら感じることはできなかったなという時の方が多いぐらいです。
できれば人とお会いするときには、少しでも心が通い合うようなコミュニケーションが取れればなと思っていますが、そういうコミュニケーションがもし取れなかったとしてももともとで、一瞬でも心を通わせるコミュニケーションが取れたときは超ラッキーだと思うようにしています。
残念ながら心が通い合えなかったかなと思うときは次にチャンスがあるので±0、一瞬でも心が通い合えたら+なので、つねにプラスが積みあがっていきます。
なるべくプラスをたくさん積み上げられるように、人との向き合い方の質を高めたいと思いますし、なるべくありのままの自分でありのままにお会いできるようにしたいと思います。
できるだけそうした向き合い方ができるように心掛けていることは、誰かとお会いするときにはその前にその方のことについてしっかりと思いを馳せて、できるだけ心の準備をしておくということです。
不用意に会うのではなく、事前にできるだけその方のことを思いやると言ったらよいでしょうか。
以前、サッカー選手で「心を整える」ということを実践されている方がいましたが、そんな感じです。
そして、そうしたコミュニケーションの中で生まれてきたアイデアや想いをそのまま実行していくというのが、私がこの世に生まれてきた目的なのではないかと最近感じています。
深く心を通わせる瞬間、増やしていければなと思います。
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